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サリバン先生とヘレンケラー

サリバン先生とヘレンケラー ペンダントトップ アトリエ芸文 井上康太郎
サリバン先生とヘレンケラー ペンダントトップ アトリエ芸文 井上康太郎

サリバン先生とヘレンケラーのペンダントトップをデザイン、製作いたしました。

透かしタイプです。

 

[ヘレン・ケラー物語]

 

壮絶な人生を生き抜いたヘレン・ケラーとアン・サリバンの物語。


 

1880年、アメリカ・アラバマ州のツルバラの咲く美しい田園にて、ヘレン・ケラーは生まれます。


1歳の頃、原因不明の高熱の後遺症として聴力と視力を失います。


両親は、ヘレンのために、数々の文献を調べては著名な医師や科学者を訪ね、治療方法を探りますが、治癒できない事がわかります。

 

そして、これからのヘレンの為にと、盲学校の校長先生に家庭教師のあっせんを依頼します。

 

7歳になったヘレンの家に来たのは、同校を卒業したばかりのサリバンでした。

 

サリバンはまず最初に、人形をヘレンに抱かせ、指でDOLLという字をヘレンの手のひらに書きました。

ヘレンは、それが自分の抱いているものの名前であることを理解し、そこから指文字による教育がはじまりました。

 

ところが、

ある日、ヘレンがコップとその中に入っている水を同じものだと、頑固に主張し、二人は大喧嘩になります。

 

サリバンは、ヘレンを井戸に連れていき、ヘレンの持っているコップに冷たい水を注ぎヘレンの手のひらにW A T E Rと指文字で描くのでした。

 

ヘレンは自分の誤りに気づきます。

 

これが、頑固だったヘレンがサリバンの教えに素直になる転換点となりました。

 

次に、サリバンはヘレンに読むことを教えるために、凸文字で書いた紙を並べる訓練を始めます。

 

さらに11歳になると、声を出す努力をはじめます。

自分の喉を押え、片手を唇にふれて声を出そうとしたり、サリバンの口中に指を入れて、舌の位置を確認するのでした。

 

周囲の人々は、その努力が不成功に終わり、悲哀が訪れることを恐れておりました。

 

それでも、

ヘレンは発声の努力を続けます。

 

そして、ついに、

 

It       is         warm       today.

 

自分には、聞こえないのですが。

声を発した感覚に感激したのです。

 

 

さらに、

ニューヨークの聾学校で発声法の研究を積みます。

サリバンも献身的に努力を続けます。

 

そして、念願であった大学に入学するのでした。

サリバンもヘレンと一緒に登校し、教師の教えを、サリバンが指文字でヘレンに伝えます。

ヘレンが、質問する時は、その逆を辿るのでした。

 

 

そして、

卒業の年となります。

 

ヘレンの卒業を祝し、地域の博覧会にて、ヘレンの講演が催されます。

 

奇跡の人・ヘレンを一目見ようと、多くの聴衆が講堂に集まります。

 

ヘレンは、壇上にあがります。

 

そして、

 

力一杯の声を発します。

 

しかし、

 

実際に喉から出た声は、

 

とても細くて、

 

とても小さくて、

 

聴衆には、とても届きません。

そこで、

博覧会の会長が、ヘレンが振り絞った小さな声を大声で復唱します。

 

すると、

     

 

講堂にあふれた聴衆から奇跡の実現に驚きかつ感嘆の声があがります。

 

そして演説が終っても退場するヘレンを囲みます。

 

ヘレンは、その後も声楽について学んだり、世界各国で、障がい者福祉の講演や活動をします。


ヘレンの思想と努力は、現在でも、多くの人々に希望を与え続けております。

 

そんな人生を一緒に歩んできた二人ですが、

70歳となったサリバンに臨終の時が訪れます。

 

50年間に渡り、慈愛と忍耐をもってヘレンを奇跡の人に育てあげたサリバン。

 

ひと時もヘレンの側を離れず、ヘレンの目となり、口となり、耳となり思想を教え、芸術を授け、科学を伝えたサリバン。

 

 

冷たくなっていくサリバンの尊い手を握り、泣きくずれるヘレンの姿に、涙しない者はおりませんでした。